アラスカ州と隣接するカナダ領土の歴史は、1800年後半から1900年初頭のクロンダイク・ゴールド・ラッシュと密接に結び付いています。ユーコン準州で金が発見されて以来、アメリカ合衆国やカナダから何千人もの鉱山労働者が裕福になることを夢見て北部に移住しました。このゴールド・ラッシュは、アラスカ州とユーコン準州にまたがる多くの都市や村を生み出すに至り、おそらくゴールド・ラッシュが始まったドーソン・シティは最も重要な都市でしょう。

現在、ドーソン・シティはわずか1、000人の小さな町ですが、カナダとアメリカの歴史において重要な場所であり続けています。カナダのドーソン・シティの歴史については、この先を続けてお読みください。

カナダ、ドーソン・シティの歴史

歴史の大部分において、ドーソン・シティ周辺の地域は、遠く離れていることと資源不足で知られていたせいでほとんど人が住んでいませんでした。先史時代、先住民領土であるトロンダック・フエシュインは、農業用地としてこのドーソン・シティ地域を使用していました。この先住民族は、ユーコン川とクロンダイク川の合流点を拠点とし、現在のドーソン・シティのすぐ向かいに漁獲野営地、トロチャクを建てました。トロチャクはヘラジカ狩猟地区としても使用され、その後カナダの国立史跡として知られています。

ヨーロッパ人が北米を植民地化し始めた頃、現在のユーコン準州は当初ハドソン湾会社によって探険され、同社がルパート・ランドを支配していました。これは、現在のオンタリオ、ケベック、マニトバ、サスカチュワン、アルバータなどのカナダ州、またミネソタ、ノース・ダコタ、サウス・ダコタなどのアメリカ州の一部となる広大な領地でした。ハドソン湾岸会社はユーコン準州に多くの交易所を設立しましたが、1859年にノースウエスタン・テリトリーとして合併するまで、その地域に対する支配権を正式に主張しませんでした。

1867年のカナダ連合に続いて、ハドソン湾岸会社は1870年にルパート・ランドとノース・ウエスタン準州の支配権をカナダに移管し、ノース・ウエスト準州として一つの準州に再編成されました。ユーコン準州とドーソン・シティ地域の開拓地は、何千もの鉱山労働者にこの地域への移住を促した近隣で金が発見された1896年まで、貧しいままでした。

ドーソン・シティは1897年に設立され、その10年前にユーコン準州地域の地図を作成したカナダの探検家、ジョージ・M・ドーソンにちなんで名が付けられました。1年も経たないうちに、ドーソン・シティの人口は40、000人に増加しました。入植者の突然の流入により、1898年、カナダ政府はユーコン準州を独立した地域として設立し、地方自治体が新規参入者のニーズにより容易に対応できるようになりました。ドーソン・シティは、1952年までユーコン準州の首都としての役割を果たしました。

クロンダイク・ゴールド・ラッシュは1899年に終わりを告げ、ドーソン・シティの人口を大幅に減少させる原因となりました。ドーソン・シティは1902年に正式に設立されましたが、その時点で人口は5、000人以下に減少していました。市はアラスカ州フェアバンクスをカナダやアメリカ合衆国へ接続させるハイウェイであるアラスカ・ハイウェイが、計画通りにドーソン・シティを通過せず約483キロメートル南部を迂回した1940年代にさらなる打撃を受けたのでした。経済が悪化し人口が減少し続けたため、1952年にユーコン準州政府は首都を、アラスカ・ハイウェイ沿線にあるはるかに大きな都市、ホワイトホースに移しました。

1960年代と1970年代の最悪の時期には、ドーソン・シティの人口は600人までに減少しました。しかし、それ以降この市は経済の復興を遂げました。砂鉱床採掘のような近代技術により、ドーソン・シティ地域の金採掘が再び利益を上げ、市もクロンダイク・ゴールド・ラッシュの歴史に興味を持つ観光客から利益を得ています。これは輸送の改善によって促進されたもので、1950年代、ドーソン・シティはテイラーおよびトップ・オブ・ザ・ワールドのハイウェイ経由でフェアバンクスに結び付き、1955年にはクロンダイク・ハイウェイが、ドーソン・シティをホワイトホースとスカグウェーのアラスカ・パンハンドルと接続しました。

1978年、ドーソン・シティは、ドーソン映画の発見で再び有名になりました。定期的な発掘の最中に、建設作業員が永久凍土に埋もれた500本を超える無声映画の在庫を発見しました。これらの映画は1903年から1929年の間に製作されたもので永久に紛失したと考えられていた多くの映画を含んでいました。つまり永久凍土の極度の寒さが劣化と摩耗を防いだのでした。これらの映画は火炎性の高いニトロセルロースのフィルムに印刷されており、カナダ軍を介して消去する必要がありましたが、カナダの図書館と公文書館、そしてアメリカ議会図書館に分類かつ保管されました。

ドーソン・シティは、アメリカ人作家のジャック・ロンドンによる多くの短編小説などの舞台として、おそらく最も知られているでしょう。彼の最も有名な作品である「野性の呼び声」はこちらが舞台になっています。ロンドンは、ドーソン・シティに1897年から1898年まで住んでいました。ドーソン・シティは、「サム・マギーの火葬」や「ダン・マックグルーの射撃」という詩で最も有名なイギリス系カナダ人の詩人、ロバート・W・サーヴィスでもその名が知られています。

結論

ドーソン・シティはもはやユーコン準州とアラスカ州地域の支配的都市ではありませんが、極北の鉱業および観光事業の重要なハブであり続けています。観光客がちはドーソン・シティに押し寄せ、クロンダイク・ゴールド・ラッシュの歴史について学んだり、シティの美しい景色に目を奪われます。もしアラスカ州を訪れる予定でしたら、ユニークな歴史を誇るドーソン・シティまで足を伸ばされることを是非お勧めします。

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